国民の賛否が大きく分かれ、反対論が高まる中での異例の式典となった。
首相が独断で決めた国葬が浮き彫りにしたのは、国民から大きく乖離(かいり)した政治と、分断された社会の姿にほかならない。
参院選の街頭演説中に銃撃されて死去した安倍晋三元首相の国葬が27日、東京の日本武道館で行われ、国内各界、外国の代表が参列した。会場近くの公園では一般向けの献花に訪れた人が長い列を作った。
一方で国葬に反対する野党議員は出席せず、案内状が届いた文化人らの中にも欠席を表明する人がいた。国会周辺で大規模な反対集会が開かれ、全国各地に「国葬反対」と書いたプラカードを掲げる人がいた。
岸田文雄首相が安倍氏の国葬実施を表明し、閣議決定して2カ月余り。時の経過とともに高まったのは、非業の死を遂げた安倍氏を追悼するムードではなく、なぜ国葬かを問う声だ。
◆説明に理解広がらず
報道各社の世論調査は国葬に「反対」と答える人が次第に増え、「賛成」を上回る状況に変わっていった。
その状況を招いたのは、国葬とすることについて、岸田首相から納得できる説明が聞かれなかったことが大きい。
世論の反対が強まり、内閣支持率が急落すると、首相は丁寧に説明する姿勢に転換し、国会の閉会中審査にも出席した。
終始丁寧な口調で、低姿勢な答弁に徹したが、焦点となっていた法的根拠や開催理由について、従来を超える説明はなく、野党議員の質問ともかみ合わなかった。
これでは理解を広げるために力を尽くしたとは言えない。
閉会中審査後に共同通信社が行った世論調査で、首相の説明に「納得できない」とした人は67%に上り、「納得できる」とした人が3割に届かなかったのはそのためだろう。
安倍氏が関係を築いた海外要人が多数訪れる国葬は、首相にとって、弔問外交を展開し「安倍外交」の継承をアピールする場にもなるはずだった。
ところが先進7カ国(G7)で現職首脳級の参列は米国のハリス副大統領だけ。他は元職ばかりで、弔問外交を理由とした国葬の大義名分も揺らいだ。
閣議決定から国葬まで時間は十分あったが、首相は内閣改造など政治日程を優先し、野党に求められても臨時国会を召集しなかった。
国葬について定めた法律がなく、吉田茂元首相以来55年ぶりという異例さを踏まえれば、国会の場でしっかりと議論するべきだった。
安倍氏は「桜を見る会」を巡って100回以上の答弁が虚偽と認定されるなど、国会軽視の姿勢が際立った。
閣議決定で国葬を決め、国会の議論を軽んじた岸田首相の姿勢もまた、傲慢(ごうまん)な政権運営と指摘せざるを得ない。
国葬は強権的な「安倍政治」を象徴しているように映る。
安倍氏は首相を退いてまだ2年に過ぎず、業績や歴史的評価が定まらない。森友学園や加計学園を巡る問題についても説明責任を果たしていないと指摘され続けている。
異論があるのを承知で国葬を強行したことには、自民党最大派閥の安倍派をはじめ、保守派の支持を得たいという岸田首相の内向きな思惑が透ける。
◆教団との関係調べよ
安倍氏が凶弾に倒れた直後、国民の間には民主主義に対する暴挙を非難する声が広がった。
容疑者は、霊感商法などで社会問題になった世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と安倍氏の関係を疑い、教団への恨みの矛先を安倍氏に向けた。
どんな理由があろうとも、安倍氏の命を奪った容疑者の行為が許されることはない。
一方で、容疑者が家族による教団への過度な献金で生活を破壊され、希望を失っていたことは見過ごせない。
教団は選挙で自民党の候補を広く支援するなど、党所属議員らと深い関わりを持っていた。
最大与党が教団から長年にわたって支援を受け、その陰で教団に家庭を壊された人々の存在を見逃していたのは問題だ。
しかし自民の調査は後手に回り、発端となった安倍氏と教団の関係については岸田首相が調査を拒否している。
国葬を巡って社会に分断を生んだ要因はそこにもある。首相はしっかり調べねばならない。
