1979年に国交を正常化した米国と中国が初の首脳会談に臨んだのは翌80年、東京でのことだった。日本が舞台となったのは首相在任中に急死した大平正芳氏の葬儀に合わせた弔問外交だったからだ
▼カーター大統領と華国鋒首相が当時のソ連のアフガニスタン侵攻などについて意見交換した。日本の伊東正義首相臨時代理も両者をはじめ、各国から参列した首脳らと精力的に会談した
▼その際の葬儀の形式は内閣・自民党合同葬だった。大平氏と同じく首相在任中に病に倒れた小渕恵三氏も合同葬。この時は米国のクリントン大統領や韓国の金大中大統領らが参列した
▼安倍晋三元首相の国葬が、きのう営まれた。礼節をもって各国からの参列者を迎えるため-。国葬とする理由にこんな説明もあった。ただ過去を振り返ると合同葬でも相当の格式を伴って賓客を迎えていたようだ
▼岸田文雄首相は今回なぜ国葬にこだわったのか。自民党総裁選を勝ち抜く原動力となった同党安倍派をはじめ、保守勢力に配慮したとみる向きがある。だとすると、人の死を政治的に利用したことになる。各世論調査で国葬に反対する声が多くを占めたのは、そんなにおいを感じた人が多かったことも一因だろう
▼首相としての安倍氏の功績をどう見るかは人によってさまざまだ。ただ、敵と味方を峻別(しゅんべつ)し、反対の声をバネとして求心力を高めた政治手法は国民の分断を招いた。安倍氏を国葬とした決定が今また分断を引き起こしたことは何とも皮肉である。