作家の沢木耕太郎さんが吉村昭さんと宮城県へ講演に出かけた時のことだ。先に話し終えて控室に戻ると、男性が沢木さんの本を何冊か抱えてやって来た。サインを頼まれたので本を開くと、全て初版本だった。男性は、営んでいるすし屋を休んでやって来ていた

▼講演会後の懇親会で沢木さんから男性の話を聞くと、吉村さんは言った。「すぐにその店にいらっしゃい。そういう読者こそ大事にしなくてはなりませんからね」

▼沢木さんは男性の名刺を取り出して電話をかけ、タクシーを呼んだ。男性の店で料理と酒に舌鼓を打ち、その後も行き来しているという

▼2人の著名な作家が読者を大切にした話を思い出したのは、先日の本紙魚沼面に載った記事を読んだからだ。十日町市の女子中学生がベストセラー作家、宇山佳佑さんの小説「この恋は世界でいちばん美しい雨」に感動したと窓欄に投稿した。交流サイト(SNS)を通じて投稿を読んだ宇山さんは、中学生に手紙とサイン本を贈った

▼その手紙を読ませてもらった。「人生はたくさんの後悔の上に成り立っていて、辛(つら)いこと、悔しいこともあるかと思います。でも、青春時代に感じたそれらの想(おも)いは心に雨のように降り、いつかきっと素敵(すてき)な花を咲かせてくれるはずです」。原稿用紙に柔らかな文字がつづられていた

▼冒頭の話は、沢木さんのエッセー「縁、というもの」から引用した。これも「縁」かもしれない。宇山さんがいつか本県を訪れ、講演してくれたらうれしい。

朗読日報抄とは?