戦死した肉親がどんな最期を遂げたのか、知りたいと思うのは遺族として当たり前の気持ちだ。その願いを踏みにじり、旧日本軍は不都合な事実を隠した
▼太平洋戦争のさなか、北方に向かった輸送船が釧路沖で米潜水艦に撃沈された「日連丸事件」から、あすで82年になる。乗員約2800人のうち、生存者は45人。本県出身者も数百人が亡くなったと伝わる。ごく近海で大勢の兵士が犠牲になった事実を軍は隠ぺいした
▼軍事機密としてかん口令を敷き、生存者と遺体を運んだ寺を憲兵が見張った。遺体が流れ着く海岸の漁が禁止され、うわさ話をしただけの人が逮捕されるに至り、誰もが恐怖で口を閉ざした。遺族には空の骨箱と、戦死を伝える簡潔な通知が届いた
▼軍は生き延びた兵士にも十字架を背負わせた。白根市(現新潟市南区)の五十嵐辰巳さんは、船の破片につかまり九死に一生を得たが、監視下に置かれた。生きていることを家族に連絡できず、仲間の死も伝えることができなかった
▼悲劇は続く。日連丸の沈没から約1カ月半後、他の生存者とともに輸送船「伏見丸」に乗せられ、再び北の海で撃沈された。500人以上が犠牲になったが、五十嵐さんはまた助かった
▼口封じのため、日連丸の生存者を積極的に北方に送ったという見方がある。話すくらいならば死んでくれ-ということか。五十嵐さんは2002年に亡くなるまで、2度撃沈された経験をわが子にも一切語らなかった。戦争の狂気、非道さを思い知る。
