まだ見ぬ花婿は結婚式の時にも姿はなかった。新潟市南区の桜井ヤスさん(93)は、夫の一郎さん(2017年に98歳で死去)との「結婚式」を振り返る。軍人の一郎さんは戦地におり、ヤスさんの隣には写真が置かれた。太平洋戦争中、ヤスさんが18歳頃の出来事。「恥ずかしくて人に言えないような話です」とほほえむ。
加茂市出身のヤスさんは1944年に加茂高等女学校の専攻科を修了した。結婚話が来たのは、三条市内にあった県の地方事務所で働き始めてすぐのことだった。
その頃、朝鮮半島の会寧(現在の北朝鮮)の軍にいた一郎さんは実家へ「結婚相手を探してほしい」と手紙を送っていた。息子の希望を受け、父の武一さんは知人からヤスさんを紹介された。
「勤めたばかりでまだ早い」とヤスさんは断った。それなのに武一さんは何度もやってきた。軍服姿のりりしい写真を持って。「その写真を見てほれたんでしょうかね」とはにかむ。
仕事をやめて結婚し、会寧に行くことを決めた直後、一郎さんのフィリピンへの派遣が決まった。それでも武一さんの意向で、一郎さんが不在のまま結婚式は行われた。
式では一郎さんの自宅に親戚が集まった。「明かりが外に漏れないようにカーテンを閉め切っていました」と回想する。近所にお祝い事だと知られないようにしていたようだった。
ヤスさんは結婚式後も加茂の実家で過ごした。会ったことはないけれど、夫の無事を神社で祈った。
終戦後、一郎さんは無事に帰国。正式な結婚式を挙げることになり、二人はその日に初めて顔を合わせた。ヤスさんは一郎さんから「夫を信頼し、常に貞淑で明朗であるように」など結婚生活での要望を書いた紙を渡された。「軍人だから厳しい人だ」と思い、少し緊張した。
農家の長男だった一郎さんは家業を継ぎ、ヤスさんは慣れない農業に苦労しながら4人の子どもを育てた。
一方で、一郎さんはヤスさんをねぎらうように、さまざまな所へ旅行に連れて行った。「要望」通りにいかなくても、何も言われたことはなかった。
「優しい主人でした」。天国の一郎さんに語り掛けるようにほほえんだ。
(報道部・小柳香葉子)
新潟日報 2020/08/31