1945年8月1日、新潟県長岡市を襲った「長岡空襲」。空襲までの出来事や、どのような被害があったのかなどについて簡単に紹介する。
空襲は午後10時半に始まり、翌2日午前0時10分まで続いた。米軍の爆撃機のB29が125機飛来。16万3千発以上の焼夷(しょうい)弾を投下した。犠牲者は前の月にあった模擬原爆投下による4人を含め、判明しているだけでも1488人に上る。
被害戸数は全市の8割近い約1万2千戸に及んだ。火の海となった街を逃げ惑い、大きな防空壕(ごう)があった平潟神社や市街地を流れる柿川などで多くの市民が亡くなった。
[空襲までの出来事]

[主な焼失地域]
