「発電所の廃炉作業はまだまだ続いて、私が生きているうちに見届けられっかどうか。無理かもしんねえなあ」。あの親しみ深い西田敏行さんの声を聞いた。東京電力福島第1原発から4キロにある原子力災害伝承館の解説映像だった
▼福島出身の西田さんは昨秋他界した。「生きているうちに」。故郷を思い、そう願う人がどんなにいることか。伝承館を訪れた前日、第1原発内を取材した。廃炉への道のりの遠さを肌で感じた
▼放射線量の低下で敷地内の96%は防護服なしで動けるようになっていた。処理水のタンクは13日から一部で解体が始まる。水素爆発した1号機は間もなくカバーに覆われ、むき出しの鉄骨は見えなくなる。作業工程は一歩一歩進む
▼一方、原子炉内に溶け落ちた核燃料は計880トンとされるが、ようやく耳かき1杯程度が取り出されただけ。処理水タンクはまだ千基を超える上、新たな汚染水が1日80トン余り生じ続けている。今も構内に1万2千体以上の使用済み核燃料を抱え、固体の放射性廃棄物は少なくとも東京ドーム約半杯分の発生を見込む。ともに容易に構外へ運び出せない代物だ
▼案内役の東電社員は「諦めない」と表情を引き締めたが、いずれ原発事故を直接知らない世代が作業を担い続けることになる
▼構内で見上げた空は青かった。同じころ、新潟は今季最強の寒波による大雪に見舞われていた。廃炉作業が太平洋側ではなく日本海側の降雪地で行われるとすれば、もっとずっと、長引くのだろう。