昨年文化面で毎月掲載された「論考2025」は、哲学者の朱(ちゅ)喜哲(ひちょる)さんが執筆者だった。米国の政治哲学者ジョン・ロールズの「正義論」を巡る考察には考えさせられた
▼ロールズは、他者との対話を拒むように「正義の反対は別の正義」と諦めてしまうことは子どもじみているとする一方、他者の「善」には積極的に無関心であることが大切だと説いたという
▼他者の「善」に無関心であることと、「正義の反対は別の正義」と考えることは、互いの主張を否定しないという意味では似ている。モヤモヤを抱えて、試しにAIにどう違うのか問いかけてみた
▼「正義」とは社会のルールや制度の在り方に関するもので、「善」とは個人の人生観や価値観などを指す、と解説された。なるほど、いろんな考えの人が一緒に心地よく暮らしていくには共通のルールが必要だが、信じる宗教や推しの対象などに干渉することは、いさかいを招きかねない
▼AIに感心しつつ「正義の反対は別の正義という諦念」は陥りがちな態度だと思えた。職場や学校の取り決めなどもそうだ。異なる意見との面倒な議論を放棄し、誰かが何かを決めてくれることに慣れてはいないか
▼真冬の衆院選は、今週末に投開票を迎える。街頭演説で、ある候補が「政治には無関心でいられても、無関係ではいられない」と語っていた。諦念に身を委ねているうちに「いつのまに、こんなに生きにくい世の中になったのだろう」と嘆くことになるのだとしたら、非常に怖い。
