予見することが困難だったとしても、甚大な被害をもたらした事実は変わらない。社会的責任は問われ続ける。
東京電力は教訓を胸に刻み、事故を起こさないための取り組みを強力に進めなければならない。
2011年3月の東電福島第1原発事故を巡り旧経営陣が業務上過失致死傷罪で強制起訴された裁判で、最高裁は「事故の予見可能性はなかった」として、検察官役の指定弁護士側の上告を棄却する決定をした。
東電柏崎刈羽原発所長や原子力部門トップを務めた元副社長2人の無罪が確定する。
共に起訴された元会長は昨年10月に死去し、公訴棄却となっている。11日で発生から14年となる未曽有の事故の刑事裁判は、誰も責任を負うことなく終わる。
検察審査会の議決に基づく強制起訴裁判で3人は、避難先で亡くなった双葉病院(福島県大熊町)の入院患者ら44人を死亡させるなどした罪に問われた。
争点となったのは、東日本大震災で発生した巨大津波を予見できたか、事故を回避することができたかどうかだった。
東電は08年、国の地震予測「長期評価」に基づき、最大15・7メートルの津波が到来する可能性があると試算していた。
この長期評価について最高裁は「信頼度が低く、10メートルを超える津波が襲来するという現実的な可能性を認識させるような情報だったとまでは認められない」とし、予見可能性を否定して無罪とした一、二審判決を支持した。
福島第1原発の周辺には今も帰還困難区域が多く残る。なお約2万5千人もの住民が県内外で避難生活を続けている。
事故の深刻さを踏まえれば、最高裁の判断に割り切れない思いは残る。避難者から「どうして誰も責任を取らないのか」「悔しい」との声が上がるのも当然だ。
一方、22年7月の株主代表訴訟東京地裁判決は、長期評価には相応の科学的信頼性が認められるとし、旧経営陣に13兆円余りの支払いを命じた。
刑事と民事で判断が分かれており、「無罪推定の原則」がある刑事裁判で責任を追及するハードルの高さを表している。
刑事責任が問われないとしても、社会的責任はある。東電は被災者にしっかり寄り添い続けなければならない。
政府は事故後に掲げてきた原発依存度を低減させる方針から、最大限活用する方針に政策転換した。柏崎刈羽原発の再稼働も急ごうとしている。
再稼働議論の前に徹底しなければならないのは、二度と事故を起こさないための対策だ。災害が多発する中、今後は「想定外」は通用しない。政府、東電はあらゆる事態を想定する必要がある。