現在放送中のNHK連続テレビ小説「あんぱん」は、漫画家のやなせたかしさん夫妻がモデルとなっています。やなせさんはアンパンマンの作者として有名であるほか、合唱などでおなじみの「手のひらを太陽に」を作詞するなど、数々の楽曲に携わったことでも知られます。そんなやなせさんが「社歌」を作詞・作曲した企業が新潟県にあります。おせんべいの「ばかうけ」などでおなじみの「栗山米菓」(新潟市北区)です。これは気になる。早速、会社にお邪魔していきさつを聞いてきました♪

 「社員のみなさんが歌っている様子の取材をさせてください」。電話で申し込むと、「いいですけど、そのかわり朝早いですよ」と快諾していただけました。

栗山米菓の本社=新潟市北区

 栗山米菓は創業1947年。新潟市北区に本社があり、「ばかうけ」や「星たべよ」「瀬戸しお」などの人気商品があります。

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 2009年には、新潟市中央区の観光スポットの一つ「朱鷺メッセ」がある万代島ビル31階の展望室のネーミングライツを取得。「Befco(ベフコ)ばかうけ展望室」は県民や観光客に親しまれています。

 取材当日。午前7時半すぎに本社に到着しました。既に管理本部や営業部門などの20人ぐらいが談笑しています。朝が早い!

 午前7時45分ぴったりに、「ラジオ体操を始めます!」という元気な声がフロアに響きました。みなさん自席から、きびきびとした動きで広いスペースに集まりました。音楽に合わせて気持ちよさそうに体を動かします。

ラジオ体操をする栗山米菓の社員

 次は「社歌を笑顔で元気よく歌いましょう!」との呼びかけです。待ってました!全員が「はいっ」と声をそろえ、いよいよ社歌が始まりました。

 前奏のメロディーに合わせ、体を動かしてリズムを取るみなさん。歌が始まると、大きな声を楽しげに響かせます。「本当に振り付きで踊っているんだ」。しばし見入ってしまいました。

 歌詞を見せてもらうと、「作詞・やなせたかし、作曲・ミッシェル・カマ」とありました。ミッシェル・カマ…!?

 「あなたも ぼくも~」と続くサビの部分は、「手のひらを太陽に」を彷彿とさせる明るい雰囲気です。空を指さしたり、両手の親指と人差し指で栗をイメージした三角を作ったり。3番まで、全身を使って歌っていました!

 なお、「ミッシェル・カマ」は、やなせさんの作曲家としての名義だそうです!本当に栗山米菓の作詞・作曲はやなせたかしさんが手がけていました。
 
 朝礼終了後、管理本部副本部長の新田哲也さん(53)とマーケティング部部長代理の久代秀明さん(56)に聞きました。

新田哲也さん(右)と久代秀明さん=新潟市北区の栗山米菓

 1947年創業の栗山米菓。社歌は2006年、創業60周年を前に、当時社長だった栗山敏昭・代表取締役が発案したそうです。社長の思いを受け、当時の役員が検討を進めます。

 ここで浮上したのがやなせたかしさんでした。栗山米菓は子育て世代にはおなじみの各種商品にアンパンマンを使っています。「尊敬するやなせ先生に頼んでみよう」と、ダメ元でお願いしたところ、快諾を得たというのです。

栗山米菓の商品の一例(©やなせたかし/フレーベル館・TMS・NTV)

 ちなみに、栗山米菓には「栗山フィロソフィ」という哲学があります。社員一人ひとりが大切にすべき考え方の指針をまとめたものです。

 朝礼も、社員同士のコミュニケーションを深め、社員のベクトルを合わせる目的があります。やなせさんにこうした資料を見せたところ「センスがいいですね」と言ってもらったとか。

 2007年5月の大型連休明け、栗山米菓にMDが届きました。なんと、歌っていたのはやなせたかしさん、ご本人です。

 栗山米菓に届いた手紙では「歌っているのがぼくと、採譜してくれた女の子なので、お聞き苦しいと思いますが」と前置きされていました。

 社歌については「元気よく、かけ声をかけて、いっせいに手拍子したり踊れるようにつくれました」との説明があります。

やなせさんが栗山米菓に送った手紙。3枚にわたって、歌に込めた思いなどが記されている

 いざ、広くお披露目されたのは、2007年9月の創業60周年記念式典でした。取引先の人や社員ら約100人が集まる会場にやなせさんを招待。歌のおねえさんとして活躍していた大和田りつこさん、岡崎裕美さんが歌い手を務めました。

 当時の動画を見直しながら、新田さんと久代さんは「大和田さんと岡崎さんが『一緒に歌ってください』と会場に呼びかけられた。前の方には取引先のみなさんがいて、困惑しながらも踊ってくださった」と懐かしそうでした。なお、振り付けは、このときに大和田さん、岡崎さんが踊っていたものを、社員が覚え、受け継いでいます。

 やなせさんとの縁は続きます。創業60周年の次に控えていた「設立」60周年に向け、栗山米菓は2009年にやなせさんに動画メッセージを寄せてもらいました。1919年生まれのやなせさんは、このとき、90歳!今も社内に残る動画では「私は90歳、栗山米菓は60周年とまだ若い。これから伸びていく会社です」とにこやかに語っていました。

 このように、やなせさんから作ってもらった社歌を、栗山米菓は20年近く大切に守ってきました。本社では毎週、水、木、金曜日の朝礼の際に歌っているそうです。

 ちなみに、やなせさんは「依頼はされませんでしたが、サービスでオマケ」として、もう1曲作ってくれました。「バリン アンド ボリン」という曲です。

栗山米菓の社歌「希望の明日」(左)と並ぶ「バリン アンド ボリン」

 やなせさんは手紙で「センベイ祭りみたいにして、そろいのはっぴでにぎやかに踊れば、佐渡おけさよりも若い感じで盛り上がるのではないでしょうか」と書き添えています。

やなせさんから栗山米菓への手紙(2枚目)
やなせさんから栗山米菓への手紙(3枚目)

 こちらは盆踊りのような民謡調とのこと。栗山米菓では年に1回、秋に行う社内運動会で歌い、踊っています。

 社歌に...

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