日本人墓地を訪れる五大路子さん=8月、マニラ郊外モンテンルパ(共同)
 日本人墓地を訪れる五大路子さん=8月、マニラ郊外モンテンルパ(共同)
 ニュービリビッド刑務所の職員と交流する五大路子さん(右端)ら=8月、マニラ郊外モンテンルパ(共同)
 演劇と朗読を組み合わせて渡辺はま子さんを演じる五大路子さん(左から2人目)ら=5月、横浜市(横浜夢座提供・共同)
 渡辺はま子さんを演じる五大路子さん=2001年(横浜夢座提供・共同)
 「ああモンテンルパの夜は更けて」を歌った歌手の渡辺はま子さん
 フィリピンのキリノ元大統領の妻子を悼むため、制作された母子像。母子は日本兵に殺害された=8月、マニラ郊外モンテンルパ(共同)
 フィリピン・マニラ、モンテンルパ

 戦後、フィリピンの刑務所に戦犯として収容された元日本兵の釈放に奔走した歌手、故渡辺はま子さんの逸話を横浜市の劇団「横浜夢座」が語り継いでいる。2001年に舞台化し、初公演から今年で25年目。劇団を率いる俳優の五大路子さん(73)は8月、初めてフィリピンを訪問し、ゆかりの地を巡った。「薄れゆく戦争の記憶を未来へつなぎたい」と誓う。

 「建物は当時と同じものなんですよ」。8月中旬、首都マニラ郊外モンテンルパのニュービリビッド刑務所。敷地内の高台から指さして説明する施設職員の言葉に耳を傾け、五大さんは連なる収容棟をじっと見つめた。

 接点は、昭和の国民的歌手、渡辺さんが1999年に89歳で死去した際の...

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