地元の高校生らが作成した、来民開拓団の歴史を伝える紙芝居
 地元の高校生らが作成した、来民開拓団の歴史を伝える紙芝居
 来民開拓団の慰霊行事で並べられた竹灯籠を見つめる人たち=8月、熊本県北部
 地域の施設に飾られている来民開拓団員だった故宮本貞喜さんの写真=2024年12月、熊本県北部
 慰霊行事で話す、来民開拓団遺族会の森山英治会長=8月、熊本県北部
 熊本県北部で営まれた来民開拓団の慰霊行事=8月
 来民開拓団の慰霊行事で竹灯籠に手を合わせる人たち=8月、熊本県北部
 遺族らが出版した「赤き黄土 地平からの告発来民開拓団」
 来民開拓団の慰霊行事で、犠牲者を悼みともされた灯籠=8月、熊本県北部
 来民開拓団の慰霊行事で犠牲者を悼みともされた灯籠=8月、熊本県北部

 1945年8月の終戦後、熊本から満州(現中国東北部)に入植していた「来民開拓団」は現地住民の襲撃を受け、集団自決の末、276人が死亡した。被差別部落の出身者を中心に編成され、貧困や差別の解消を願って海を渡ったとされる。地元には今も、悲劇を伝える紙芝居が残る。8月には慰霊行事が行われ「戦争と差別がない平和な社会」の実現を祈った。

 「満州に行けば差別はなくなる」。開拓団遺族会の森山英治会長(70)は、地域の有力者らが当時、こう勧誘したと語る。「渡った多くの人は、(結婚などで)差別される苦労を子にさせたくなかったのだろう」

 開拓団の地元・旧鹿本郡(現熊本県北部)の文献などを基に遺族らが出版した「赤...

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