祖父の徳市さんが故郷の五島に送り焼失を逃れた写真や、戦前の「長崎くんち」で使われた看板を見せる黒崎雄三さん=9月、長崎市
 祖父の徳市さんが故郷の五島に送り焼失を逃れた写真や、戦前の「長崎くんち」で使われた看板を見せる黒崎雄三さん=9月、長崎市
 古い写真を手に当時の船津町の様子を語る黒崎雄三さん=9月、長崎市
 「長崎くんち」で使われた川船を背に集合する船津町(当時)の住民たち=1929年(黒崎雄三さん提供)

 例年10月7日から3日間行われる長崎市の諏訪神社の秋季大祭「くんち」。米軍が80年前に投下した原爆は、交代で出し物を奉納していた約80の踊町のうち4分の1が全焼するなど甚大な被害をもたらした。祭りに復帰できなかったところもあるが、その記憶はあまり語られてこなかった。一方、被爆から約2カ月後、地元の芸妓たちが開催時期に合わせて踊りを奉納。打ちひしがれた人々を歓喜させた。

 「原爆がなかったら、私も川船(山車)を引いていたかもしれませんね」と語るのは、市内で暮らす黒崎雄三さん(71)。祖父の徳市さん、父の隆雄さん=ともに故人=は長崎駅近くの踊町だった船津町(現在の恵美須町の一部)で暮らしていた。

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