新潟日報朝刊で好評連載中の遠藤麻理さんのコラム「なんとかなる」が、デジタルでもご覧いただけるようになりました。デジタル限定で過去のバックナンバーもこちらで順次再掲していきます。

 鼻毛、脇毛、薄毛、ジンジロ毛…日本人は何かと毛に厳しすぎると思います。

 たまに雑談で指摘できるかできないかの話題になった時、必ず挙がる二大巨頭が「ズボンのチャックが開いていること」と「鼻毛が出ていること」。ズボンのチャックは閉めるために作られたものとして理解できますが、鼻毛は出さないものだと誰が決めたのでしょう。

 確かに出ていると若干マヌケには見えます。でもそれは、こちらが抱く勝手な印象です。ましてや出ているのではなく、出しているのかもしれないじゃないですか。ですから、どうしても伝えるのなら、「鼻毛が出ていますよ」などと上から目線ではなく、「鼻毛が出ていますね」と、様子を端的に描写するにとどめるべきなのです。

 私の友人はよく出ていますが、彼いわく「鼻毛は自由の象徴だからね。世の中のしがらみやルールを一発で破壊するから、皆、恐れておるのだよ」とのことです。

 中学生の頃だったでしょうか。街の小さなレンタルレコード店で、パティ・スミスの「イースター」の紙ジャケットを見た時、衝撃を受けました。「この人、女なのに脇毛が生えてる」…その事実にです。

 そして同じ頃、テレビでマッチ(近藤真彦)がアイドル水泳大会か何かで優勝して「やったー!」と腕を突き上げ、あらわになった脇の下が...

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