日本海軍少尉の吉川猛夫=撮影年月日不明(外務省外交史料館所蔵)
 日本海軍少尉の吉川猛夫=撮影年月日不明(外務省外交史料館所蔵)
 満州・山海関の万里の長城に登り、皇居の方角に向かって「気を付け」の姿勢をとる日本軍兵士=1932年1月(ACME)
 日本海軍の山本五十六・連合艦隊司令長官
 アメリカ国立公文書館が開示した三上嘉会の捜査資料
 戦前の在ホノルル日本総領事館の建物(「デニス・M・オガワ・日布時事フォトコレクション」スタンフォード大学フーバー・アーカイブス所蔵、ハワイタイムズ・フォトアーカイブス財団提供)
 FBIの捜査資料に添付されていた写真。添え書きに三上の名前が書かれていた

 1941年12月7日(日本時間8日)、旧日本軍がハワイ・オアフ島南部の真珠湾に停泊していたアメリカ太平洋艦隊や軍基地を戦闘機などで攻撃、日米開戦の発端となった。奇襲成功の裏には、艦隊の動向や警備体制を現地で偵察した海軍少尉・吉川猛夫によるスパイ活動があった。

 共同通信は開戦84年を前に、在ホノルル日本総領事館の臨時運転手で吉川と行動を共にした邦人男性に関する、アメリカ連邦捜査局(FBI)の捜査資料を入手した。吉川は生前、自身の活動について著書で明かしていたが、捜査資料は吉川の運転手という第三者の立場からスパイ活動の実態を描いている。既に公表されている日米の資料を交え、吉川らの暗躍に迫った。(...

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