現在のアイエアハイツからの眺め。真珠湾に浮かぶフォード島と船舶が確認できる=2025年3月
 現在のアイエアハイツからの眺め。真珠湾に浮かぶフォード島と船舶が確認できる=2025年3月
 現在の「夏の家」から臨む真珠湾方面。建物や木々で湾はほぼみえない=2025年3月
 真珠湾攻撃時に撃ち落とされた日本海軍機から見つかった地図。真珠湾に停泊する艦隊の場所が記されていた(アメリカ海軍提供、アメリカ国立公文書館所蔵)
 ココカヒからの眺め。対岸には現在、海兵隊カネオヘ・ベイ航空基地がある=2025年3月撮影
 三上の供述内容を記したFBI捜査資料。12月5日に真珠湾で戦艦や巡洋艦などを目撃し、湾には船舶が30隻あったなどとしている
 日本大危機管理学部の小谷賢教授

 日米開戦前、国際社会から孤立していた日本。日米関係が緊張する中で、海軍はアメリカ太平洋艦隊の動向を探るために吉川猛夫少尉を1941年3月、ハワイに派遣した。千葉出身で、オアフ島の農園で働く父を頼って海を渡った三上嘉会はタクシー運転手に転身したことで、知らぬうちに吉川のスパイ活動に巻き込まれていった。

 真珠湾攻撃の翌月にアメリカ軍当局に拘束された三上は、攻撃2日前の偵察の様子などをアメリカ連邦捜査局(FBI)に供述。偵察地を訪れた捜査官は、艦艇の様子を観察できる立地について「素晴らしい眺望」と評価していた。共同通信が入手したFBIの捜査資料などを基に、ハワイでの2人の足跡をたどる。(敬称略、共...

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