韓国のノーベル文学賞作家ハン・ガンさんの短編に「私の女の実」(日本語訳・斎藤真理子)がある。思い描く暮らしができず生命力を失っていく女性が、植物に姿を変える少し不思議な物語だ

▼逃げ出したくて泣き出したかった、という女性の独白が続く。〈世の中でいちばん善良な顔をしてバスの後ろの座席で身をすくめていても(中略)握りこぶしでガラス窓をたたき割りたかったのです〉

▼物事はそうそう思い通りにはいかない。耐えがたい日々が続くこともある。いつも強く、正しく、いられるわけでもない。思いとどまれず、窓をたたき割って道を外れてしまったかのような親の元で、子どもが辛酸(しんさん)をなめたニュースがこの初冬は続いた

▼母親と来日した12歳のタイ人少女が、マッサージ店に置き去りにされ、性的サービスを強いられていた。糾弾されるべき20代の母親も日本や台湾で性を売り、金を得ていたとされる。背後の貧困に目を向けずにいられない

▼安倍晋三元首相の銃撃事件の裁判は、被告人質問が終わった。母親の旧統一教会への破滅的な献金が、被告を「地獄」に導く過程が明かされた。被告を断罪すれば事足りるわけではないのと同様、信仰にすがる母親の弱さを正論でとがめるだけでは、もやは晴れない

▼何が2人の母親を追い込んだのか不明なことも多いが、見えてくるのは親が救われなければ子も救われないという現実なのだろう。悲しみの再生産を食い止めるために足りなかったものは何か、知りたい。