
2016年12月、息子家族4人と夫の遺影を見つめる宮沢節子さん=さいたま市
平穏な日々を記してきた日記は、2000年12月31日を境に一変した。「一家全滅との知らせ。信じられないまま」。書いたのは宮沢節子さん(94)。世田谷一家殺害事件で、長男みきおさん=当時(44)=たち4人を失った。「生きていても、つらい、つらい」。日記には、25年間抱え続けた悲しみと孤独が詰まっている。
事件が発覚した00年の大みそか、節子さんは帰省先の岩手県で悲報に接した。同じ日が巡ってくるたび、悲しみは募る。「生涯で一番悲しい地獄を見た時から丸3年。空元気で過ごして耐えてきた」(03年)。「1人でもなんとか助からなかったのか。涙に暮れる」(06年)。

孫の礼ちゃん=同(6)=の誕生日には墓参りをし...
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