親には健康で長生きをしてほしいもの。たとえ高齢で脳卒中などを起こしても、できる限りの治療や処置を望む。手術、リハビリ、必要なら鼻からの管や胃ろうで栄養を取る
▼次第に意思の疎通が難しくなり、表情が読み取れなくなり、入院や介護が長期化することもある。どの程度意識が残っているのか、回復の見込みがあるのか、知りたいと思いながら時は過ぎる
▼そこにいてくれるだけでいい、そんな心境にもなる。ただ、本人が延命治療は望まないと意思表示していたとすれば、その尊重に悩みもする。何の迷いも後悔もなく、みとれたならば幸いである
▼命の厳粛さと向き合う人の葛藤を、和らげることにつながるだろうか。日本集中治療医学会など4学会が、延命治療の終了を巡る指針の改定案を公表し、ホームページで意見を募っている
▼本人意思の尊重を原則とし、人工呼吸器などを使う治療をしない判断や、治療を終える決断までの手順を具体化した。容体を見極めるための期限を決めた治療や、早期に緩和ケアを提供する選択肢も示された。検討の深化に注目する
▼アメリカ先住民族の死生観には学ぶものがある。米国作家ナンシー・ウッドさんが詩集「今日は死ぬのにもってこいの日」に書いている。冬は〈新しい葉を生み出すため〉に必要で、夏は〈葉っぱどもがみな死んでいけるように〉終わる。人は自然の一部であり、季節が巡るように訪れる最期を受け入れる。そうした境地から表題の言葉が語られるのだろう。
