戦時中の思い出を話す海軍気象士官だった増田善信さん=2016年5月
戦時中の思い出を話す海軍気象士官だった増田善信さん=2016年5月
日本気象学会で発表する増田善信さん=2019年5月、東京都渋谷区
会合で講演する増田善信さん=2019年7月、東京都練馬区(田中史子さん提供)
原爆の「黒い雨」の影響を再検証する有識者検討会で、あいさつする増田善信さん=2020年11月、東京都千代田区
気候変動関連の研究でノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎さんの著作と真鍋さんから送られたカードを手にする増田善信さん。増田さんは真鍋さんと古くから交流があった=2021年10月、東京都狛江市
増田善信さん=2025年3月、東京都狛江市の自宅(関係者提供)
2025年10月には「しのぶ会」が開かれ、多くの関係者が集まった=東京都狛江市
「黒い雨」訴訟で岡山地裁へ提訴に向かう代理人弁護士や支援者ら=2024年11月

 太平洋戦争では海軍の気象担当士官を務め、戦後は気象庁に勤務。研究のかたわら、反戦や非核を訴えて行動し、年齢を重ねてからもSNSで発信を続けた1人の学者が2025年6月、101歳の生涯を閉じた。

 学者の名前は、増田善信さん。語っていたのは「天気予報は平和のシンボル」という言葉だ。その言葉は、終戦間際に沖縄に向かう爆撃機を見送った苦い思い出と深く結びついている。(共同通信=川村敦)

 ▽「気象管制」の始まりを目の当たりに

 増田さんは1923年生まれ。今の京都府京丹後市の出身だ。著書によると「貧しい農家の二男」だった。1941年に中学を卒業し、京都・宮津にあった気象の観測所に勤務した。

 後に、増田さ...

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