本紙で連載中の柚月裕子さんの小説「カンパニュラの祈り」が佳境に入っている。臓器移植に絡んだ謎を追う主人公の刑事は、こう考える。「どんな理由があろうと、人の命を人が奪うことがあってはいけない」
▼多くの人がうなずくはずだ。ただ、これは個人についてであり、国家は時に人命を奪う。わが国には死刑制度がある。国際法では自衛権が認められており、差し迫った脅威の下では武力行使できるとされる。いずれも正当な理由があれば、国家が命を奪うことを認めていると解釈できる
▼そうした行為が許されるのは極めて限定的なケースであり、為政者は抑制的な姿勢が必要と考えられてきた。以前なら、行為に及んだ国の指導者も何らかの葛藤を抱えながら決断したと感じさせることが多かった
▼しかし、イランを攻撃した米国のトランプ大統領から葛藤は伝わってこない。イランの新体制に言及した際は「われわれが考えていた人物のほとんどは死んでしまった」と述べたと報じられた。まるで人ごとだ。殺害したのは米とイスラエルにほかならない。戦闘はまだ続くようだ
▼自国民を弾圧したような人物でも、その命を奪う行為は重い。だが現実には、ウクライナ、ガザ、イランと、国家による武力行使のハードルがどんどん低くなっているようだ
▼私たちも、異常な現状に慣れてしまっていないか。おかしいと思う心が麻(ま)痺(ひ)していないか。そうなれば、もはや歯止めなどかからない。最も恐ろしいのは慣れかもしれない。
