雪が解けたばかりの庭に、ホームセンターで買った防草シートを張ったのは3月だった。雑草対策に先手を打ったはずなのだが、ほったらかしの庭では今、カナムグラや雑草化したキクイモが伸び盛りで、包囲されたシートは埋没していた
▼座布団のようにこんもり膨らむシートの下では、キクイモがうじゃうじゃと身をよじらせていた。留め具もろとも押し上げたシートとシートの継ぎ目から、光を求めてずぶとく頭を突き出している
▼戦国時代の武将は「おもだか紋」や「かたばみ紋」など草の家紋を好んだという。抜いても抜いても伸びてきて生き残る雑草が、勝ち草として尊ばれた。植物学者の稲垣栄洋(ひでひろ)さんが自著「弱者の戦略」に書いている
▼しぶとい強さの象徴でもあった雑草を、こよなく愛した漂泊の俳人がいる。種田山頭火はいくつもの句を詠んでいる。〈あるがまま雑草として芽をふく〉〈うれしいこともかなしいことも草しげる〉。雑草風景と題した句集もある
▼日記にもつづる。〈私は雑草をうたふ、雑草のなかにうごく私の生命、私のなかにうごく雑草の生命をうたふのである。雑草を雑草としてうたふ、それでよいのである、それだけで足りてゐるのである〉
▼少し意外だが、稲垣さんによれば、雑草と呼ばれる植物群は植物界では強者ではなく弱者とされるのだという。植物間の生存競争に勝てず、豊かな森を追われ、リスクのある不人気な場所を選んで生きる。そう思えば、山頭火の雑草愛が、しっくりとくる。
