その朝のバスは、数人が立つ程度の混み具合だった。ある停留所で後方に座っていた女性が降車した。若い男性が空いた席に座ったが、すぐに立ち、前方のドアから降りようとする女性に駆け寄り、「傘忘れてませんか」と声を掛けた。彼が離れた席には、別の客がすかさず座った
▼数年前、バスを降りようとした女性客が倒れたことがあった。たまたま病院近くの停留所だったため、運転士が近くにいた乗客と協力して病院に救急対応を掛け合った。10分ほどして運転士が戻ると、サラリーマン風の男性が「いつまで待たせるんだ」と怒声を上げた
▼バスは老若男女、さまざまな人が乗り合わせる。互いに知らない同士ながら、狭い空間で人と人との距離はひどく近い。人間社会がぎゅっと凝縮しているような場所かもしれない
▼前述したバスでの出来事では、ざらついた気持ちが生じた。乗り合わせた一定程度の人が同様に感じたのではないか。空いた席に真っ先に座った人や、運転士に感情をぶつけた人にも、それぞれ事情があったのかもしれないけれど…
▼見ず知らずの他人の心境を「わがこと」として実感するのは難しい。けれど同じバスに乗り合わせれば、言葉を交わし合わなくても、少し想像力を働かせることができる
▼そんなことを考えながら、今日もバスに揺られる。自分が見る景色に他人がいるように、同乗者の視界に自分が入っていることを意識する。自分がこの世界でどう振る舞うべきか、自問自答する時間でもある。
