【2021/06/25】

 夫のことで頭がいっぱいだった。ひとりぼっちで抱え込んでいた。県内在住で50代の渡辺栄子さん=仮名=は、元夫が覚醒剤の使用を繰り返していたことを振り返る。

 夫とは関東での学生時代に一時交際していたが、30歳を過ぎてから再会した。「薬物の使用と所持で逮捕され、執行猶予中」「地元の関東を離れて立ち直りたい」と打ち明けられた。

 「好きな人が頼ってきてくれた。助けたかった」。県内に住んでいた渡辺さんは、引っ越してきた夫と再び付き合った。

 薬物の影響か、夫はうつ状態だったが、治療を受け仕事も始めた。しかし、10年ほどして覚醒剤を使い、逮捕された。結婚を決め、新居を購入した矢先だった。夫不在のまま家の引き渡しを受け、建築業者には「うつがひどくて」と、うそをついた。

 「入籍した方が早く社会に出られるから」と夫に言われるがまま、勾留中に結婚。判決は執行猶予がついたものの、平穏な新婚生活はかなわなかった。

 約1年後、夫は異様な行動を見せた。親類の葬儀を急に抜け出すなど、まともに参列できなかった。葬儀からの帰宅後、割り箸で自身の腹を刺そうとした。再び覚醒剤を使っていた。

 「もう駄目だ」。相談先も分からず、渡辺さんは警察に通報するしかなかった。夫は実刑判決を受け服役した。

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 ヘトヘトになっていた渡辺さんを支えたのは、同じような経験を持つ人たちが集まる「県薬物依存症者を抱える家族の会」。長岡市を拠点に2002年にできたグループだ。現在は20~30人が月1回集まり、経験や思いを語り合う。

 初めて足を運んだのは8年前。参加者の1人から夫婦関係について「パートナーじゃないね。息子を心配するお母さんみたい」と言われ、はっとした。

 常に夫の様子を気にし、行動を把握しようとした。一方で住宅ローンや生活費をほとんど払い、夫に金を渡すなど薬物に依存しやすい状況をつくっていた。

 そうした家族の行動は「共依存」と呼ばれる。「いつか夫と穏やかに暮らす日が来ると漠然と願うだけで、依存症という病気のことを知らなかった」と気付かされた。県外の家族会にも参加して助言を受け、夫とは離婚した。

 何より心強かったのは「自分だけじゃないんだ」と思えたことだ。違法薬物や処方薬など種類は違えど、みんな家族の依存問題に悩み、苦しんできた。自ら正直に語り、そして話を聞く。そんなプロセスを通じ「本当に気持ちが楽になった」という。

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 違法薬物は犯罪であり、当事者や家族は周囲から孤立しがちだ。渡辺さんも「夫が逮捕された、刑務所に入ったなんて世間に話せる内容じゃない」と言う。

 ただ、家族の会では秘密が守られる。ほかに新潟市と新発田市を会場とする家族会や、医療機関での家族会もあるが、いずれも話した内容を警察などに伝えることはない。悩んでいるなら「1人で抱え込まないで」と渡辺さんは願う。

 別れた夫を嫌いになったわけではない。「依存症の治療につながってほしい」と祈るが、自分がそばにいても実現はしないと思う。今も本人からメールがたまに届く。そんな時は家族の会の仲間に伝える。「無視、無視」「消去して」と、泥沼だった昔に戻らないよう後押ししてくれる。

 少し前からスポーツジム通いを始めた。パソコンも学びたい。依存症の夫のことばかり考えていた自分が、自身の生き方に目を向けられるようになった。それも「仲間と出会えたから」と、ほほ笑んだ。