旧満州(中国東北部)へ渡り、現地で亡くなった新潟県人を悼む慰霊祭が9日、新潟市中央区の護国神社で行われた。参列者は引き揚げまでの過酷な年月や逃避行の中で亡くなった肉親を思い、冥福を祈った。
慰霊祭は毎年、旧ソ連が侵攻した9日に合わせて営まれている。今年は新型コロナウイルスの影響で県外からの参加がなく、参列者は7人だった。
旧新津市や五泉市などの出身者でつくる「西宝開拓団」に家族7人で参加した新潟市秋葉区の町屋エトさん(86)は、引き揚げ前に43歳で亡くなった母トリさんらを思い、手を合わせた。
町屋さんは生まれたばかりの末の妹満子(ますこ)ちゃんに、現地人からもらったコメをかんでから食べさせたが、母の後を追うように亡くなったという。町屋さんは「かわいかった小さな顔が、今でも忘れられない」と声を震わせた。
新潟市中央区の中村義昭さん(90)は、旧満州で終戦を迎えた後、13年間日本に戻れなかった。15歳でツルハシを握らされ、1日12時間の炭鉱労働に従事した。中村さんは「多くの仲間を失った。平和は願うだけではなく、声を上げていかなければ守れない」と訴えた。