【2021/09/23】

 「私が食べ終わるまでこっちに来ないで」。台所に引きこもった娘は、長い時間をかけ大量の菓子を食べ続けた。食べ終わると「苦しくて動けない」とぐったりし体を震わせて泣いた。

 県内の60代主婦、山田綾子さん=仮名=は、現在30代の娘が摂食障害の真っただ中にいた15年ほど前を振り返る。食欲も感情もコントロールできず、痩せたり太ったりする娘に驚くばかりで「気持ちが理解できず振り回されていた」。

 娘は真面目な子だった。成績は常に上位で「完璧主義」。短大卒業後、県外で就職した。「職場に気を使って疲れる」と時々電話があった娘が緊急入院したのは、就職して半年ほどたった頃。病院に駆け付けると摂食障害と告げられた。体重は30キロを切り、チューブで直接胃に栄養を送る経管栄養をするほど。職場の人から「毎日道端のベンチで休みながら、通勤していた」と聞き言葉を失った。

 娘は仕事を辞め、実家で療養生活を始めたが、無理に働きに出ては痩せることを繰り返した。嫌がる娘を無理やり入院させた。

 退院後は一転、過食が始まりどんどん太った。自分は食べないのに、毎晩レシピを見て取りつかれたように家族の夕食を作った。「お母さんが無理に入院させたからこうなった」と暴れ、怒りを鎮めるために、ケーキや大福などの菓子を言われるがままに買い与えるしかなかった。

 「娘もつらかったと思うが、私も疲れていた」

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 なぜ食べるという当たり前の行為が普通にできないのか。理解できなかった。幼い頃、成績が悪いと厳しくした夫が悪かったのか、食べ物を買い与えた私がいけなかったのか…。途方に暮れた山田さんは、摂食障害の家族と当事者が作る自助グループ「ABCの会」(新潟市)に通い始めた。

 会の中で、摂食障害は本人の性格や痩せている姿を美の基準としがちな社会の価値観など、複数の原因が重なって起きる病気と知った。自分を責めていたが「原因は一つではない。誰が悪いか探すのはやめよう」と仲間から励まされ、楽になった。

 新しく知ることも多かった。過食症の患者は食べる姿を見られたくない、元々は真面目でいい子が多い…。回復した当事者から「治したくても治せない自分がふがいなくて情けなかった」と聞き、娘の気持ちがやっと分かった気がした。

 摂食障害に詳しい南浜病院(新潟市北区)の川嶋義章医師は「家族は病気の回復に欠かせないが、当事者を大事に思うからこそ一緒に悩んで余裕がなくなる」と指摘。「家族も、自助グループや医療機関とつながり周囲から支えてもらう必要がある」と助言する。

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 アドバイスを受け、山田さんは、病気の原因を探すのではなく、今の本人の良い部分を見ることを心掛けた。毎日夕食を作る娘に感謝を伝えると「何がおいしかった?」と会話が続いた。過食は止まらなかったが、心を開いてくれるようになった。

 ある時、突然娘に「1人暮らしする」と言われ、心配だったが「本人も自立しようとしている」と、ぐっとこらえた。娘は自分で部屋を探し、仕事を始めた。

 今年、久しぶりに娘が帰省した。山田さんは張り切って料理をたくさん作って待っていたが、娘は「朝ご飯をしっかり食べてきたからいらない」と言い、用事が終わるとすぐに帰った。料理を食べてくれなかった寂しさよりも、食欲をコントロールできるようになったことがうれしかった。

 娘が家を出て約10年。今も人間関係で悩む電話は掛かってくるが、自分の力で頑張っている。「家族にできるのは、本人の力を信じて待つこと」。その思いをかみしめている。