78年前、抑留という形で自由を奪われた。現在の新潟県柏崎市出身で、シベリア抑留を経験した西倉勝さん(98)=神奈川県相模原市=が、若い世代に向けて自らの体験を語る活動を続けている。仲間の死を無駄にはできない。これからを生きる若者には戦争の悲劇を伝えたい―。語り部は「使命であり、生きがい」と力を込める。
「今、ウクライナで皆さんと同じような子どもが亡くなっています。こういう戦争は二度と起こしてはいけない」
6月下旬、東京・新宿の平和祈念展示資料館。西倉勝さん(98)は、52人の中学生を前に、張りのある声で訴えた。戦時中の写真や絵をスクリーンに投影し、約1時間、立ちっぱなしで経験を語った。
6年前から資料館で語り部を務める。保険会社などで90歳まで働いた後、経験を伝えてほしいと依頼され、引き受けた。

強制労働では、鉄板のように硬く凍った土に、つるはしを何度も振るった。「つらかったことは死んでも忘れない」。自身は「必ず生きて日本に帰る」との思いを貫き帰国を果たしたが、多くの仲間が再び故郷を見ることなく力尽きた。
◆「全てが悪い人じゃない」 互いを知ること、交流を続けることが平和への道
1945年1月。刈羽郡二田村(現柏崎市)出身の西倉勝さん(98)は、東京の飛行機エンジン工場で事務をしていた19歳の時に出征することになった。「いよいよか」と、喜び勇んで故郷に帰ったが、家族の本音は違った。祖母は「行かないでほしい」と言った。

出征先は朝鮮半島北部の会寧。ソ連(現ロシア)との国境警備のため山岳地帯での陣地構築を命じられた。土木作業を...
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