作家の渡辺淳一さんのエッセー「鈍感力」がベストセラーになったのは2007年のことだ。タイトルは流行語にもなった。それとともに、誤った使い方をされることもあったと渡辺さんは振り返っている

▼人生の辛苦や失敗に過敏にならず、再び立ち上がるしたたかな力を渡辺さんは鈍感力と呼んだ。ところが問題を起こしながら平然としている政治家らを指して使われるようにもなった。渡辺さんは、こうしたケースは「単なる鈍感でしかない」と憤った

▼思わず、この人のことも「鈍感力がある」と間違った使い方をしそうになる。米国の大統領経験者として4度目の起訴をされたトランプ氏だ。今回は2020年大統領選の敗北を覆そうと、票の集計に介入したとして罪に問われた

▼24年大統領選で返り咲きを狙うトランプ氏は例によって検察を批判し、選挙妨害だと主張した。起訴を伝える通信社の記事は今後の見通しを「波紋を広げそうだ」と評していた。普通なら「痛手となりそうだ」などと書きそうなものだが、前大統領が繰り返す異様な言動に周囲が慣れっこになり、鈍感になっていることを踏まえた表現かもしれない

▼日本にも女性蔑視の発言を繰り返すあの人や、台湾海峡の安定に関して「戦う覚悟」が求められると言い放ったあの人らがいる。私たちもともすれば「いつものこと」「あの人だから…」と受け流しそうになる

▼問題のある言動を受け流すのは鈍感力ではない-。泉下の渡辺さんからお𠮟りが届きそうだ。

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