関越道の全線が開通したのは1985年10月2日。今月40年を迎えた。谷川岳直下を通る全長約11キロの関越トンネルの完成に8年を要し、湯沢と群馬県前橋のインターチェンジ間がようやくつながった。新潟市から東京まで自動車で1日がかりだったが、日帰り旅行も可能になった

▼このちょうど100年前、今の関越トンネル近くに太平洋と日本海を結ぶ大動脈が開通した。名称を「清水越新道」という。日本で初の国道指定を受けた道路の一つだ

▼明治初期に東京-新潟間の陸上輸送路の整備が急がれ、最短ルートとして群馬県境の清水峠が選ばれた。明治の元勲、大久保利通が主導した国家プロジェクトだった。急峻(きゅうしゅん)な峠越えの工事は難航を極めた末、1885(明治18)年8月に完成した。馬車が通れる高規格道路だった

▼だが、雪崩や春先の雪解け水で道は崩れ、数年後に通行不能となった。そのまま復旧されていないのに、現在は国道291号に指定されている。以前、古地図を手に清水越新道をたどろうとした。車どころか徒歩でも通れなかった

▼道路の必要性を強調する際に「命の道」と表現することがある。柏崎刈羽原発の事故時の避難路もそうだろう。国は原発から6方向に逃げるための道路整備費1千億円超を、全額負担すると県議会で表明した

▼長い年月がかかる工事をやり抜く覚悟はあるのか。まさか再稼働の同意を引き出すための口約束では-。清水峠に眠る国策道路の末路を見るとそう勘ぐりたくなってしまう。