〈戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。ただ、負けないのだ〉。坂口安吾の随筆「不良少年とキリスト」の一節を引く。自死した盟友太宰治への追悼文とされる。負けずに生き抜くという宣言でもある
▼勝てなくていい、負けなければいい-。人生にほのかな勇気をもらう言葉でもあるが、勝負事は文字通りすべからく勝ちと負けを生む。時に天才、怪物と称される人も負ける。それが現実。だから面白い
▼将棋の王座戦は、王座の藤井聡太さんが挑戦者の伊藤匠さんに敗れた。持ち時間を使い切り、一分将棋に入った最終盤の攻防は、見応えがあった。これでタイトル全八冠を一時制覇した藤井さんから、伊藤さんが二冠を奪い取った形だ
▼23歳の同学年による2強時代到来を思わせる。14歳で棋士になり、瞬く間に一世を風靡(ふうび)した藤井さんに、小学生時代から対戦する伊藤さんがじりじりと間合いを詰め、伍(ご)する存在になってきた
▼タイトル獲得通算99期の羽生善治さんは、羽生世代と呼ばれる強敵に囲まれていた。森内俊之さん、郷田真隆さん、佐藤康光さん…。羽生さんは「優れた同世代の棋士と歩んでこられて恵まれていた」と語っている(大川慎太郎「証言羽生世代」)
▼かつて藤井さんは八冠への執着を否定し「面白い将棋が一番の目標」としていた。勝ち負けに一喜一憂しない心持ちが一流の証しだが、ライバルへの闘争心を燃やしているであろう心の内ものぞいてみたい。













