被害者だと名乗り出るまでに50年かかった。阿賀町に住む皆川栄一さん(80)は大工だった20歳の頃、工具を持つ手がしびれるのに気づいた。頭の中でセミが鳴くような耳鳴りにも悩まされた。周囲には同様の症状があり水俣病と診断される人もいたが、言い出せなかった
▼子どもの結婚に影響しないか、大工の仕事が減らないか心配だった。子どもが独立し、仕事の一線を退いてようやく受診し、水俣病と診断された。70歳近くになっていた
▼水俣病は企業が有害な排水を流したことによる公害だ。だが患者認定されるには各種要件のハードルが高く、救済の門は狭い。認定から漏れた人向けの救済策が講じられたこともあったが、皆川さんは手違いから申請を逃した
▼国が決めた対象地域などから外れ、救済の枠外に置かれた人も多い。2009年に施行された特別措置法に基づく救済策から漏れた人が起こした訴訟で、大阪地裁は原告全員を水俣病と認め、国などに損害賠償を命じた。皆川さんが原告団長を務める新潟水俣病第5次訴訟も同様の構図で係争中だ
▼一連の訴訟の背景には、特措法の救済申請がわずか2年余りで打ち切られたこともある。特措法は「あたう(可能な)限りすべて救済」とうたうにも関わらず、一方的に門は閉じられた。今回の大阪地裁判決は、特措法の趣旨と逆行するような国の姿勢を断罪した
▼被害者は高齢化しており、抜本的な救済策づくりが急務だ。国は「あたう限り」の精神をいま一度かみしめねば。