世界文化遺産を目指す新潟県の「佐渡島(さど)の金山相川鶴子金銀山」と「西三川砂金山」の二つの鉱山遺跡で構成。17世紀には世界最大級の金の産出量を誇った。金の採取から精錬までを手工業で行っていた時代の遺構が残っているのは、世界的に例が少ないとされる。」は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の委員会で7月末に審議される。いよいよ登録に向けた最終段階に入ったが、新潟県は広い。佐渡市以外の県民の中にはピンとこない人もいるだろう。しかし島外にも、佐渡金山とのつながりを示す史料や伝承が残っている。県内各地で見つけた佐渡金山との意外な縁を紹介する。(5回続きの1)

 佐渡金山の特徴の一つが、手工業で高品質の金を生産したことだ。採掘した鉱石から小判をつくり出す工程で、鉛を加えて金を抽出する「灰吹(はいふき)法」による製錬は、金の質に関わる重要な作業だった。

 灰吹法は多くの鉛が必要となる。その鉛の供給源の一つだったのが旧朝日村(現村上市)にあった蒲萄(ぶどう)鉱山だ。新潟県世界遺産登録推進室の尾﨑高宏専門調査員は「村上の鉛が佐渡金山の最盛期を支えたといえる」と力説する。

 蒲萄鉱山は1960(昭和35)年に閉山した。跡地は東邦亜鉛(東京)が管理するが、立ち入り禁止となっている。

 蒲萄集落の菅原忠志区長(71)は「昔は鉱山関係者が多く住んでいて映画館もあった。今やその場所も草木が生い茂るだけになってしまった」と語る。

蒲萄鉱山の付近に立つ蒲萄集落区長の菅原忠志さん。鉱山跡地は立ち入り禁止となっている=村上市蒲萄

 集落で...

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