新潟県長岡市を襲った1945年8月1日の長岡空襲1945年8月1日午後10時半から1時間40分にわたり、米軍のB29爆撃機125機が16万発以上の焼夷(しょうい)弾を投下した。長岡市の当時の全戸数のうち8割にあたる約1万2千戸が焼失。7月20日の模擬原爆の犠牲者4人と合わせ、判明しているだけで1488人が亡くなった。大花火大会が有名な長岡まつり(8月1~3日)は、空襲翌年の46年に開かれた「長岡復興祭」を起源としている。から79年となった。45年7月にあった模擬原爆投下による4人と合わせ、犠牲者は判明しているだけで1488人。街は火の海と化した。8月1日の長岡は関連行事が市内各地で行われ、犠牲者の鎮魂と平和を祈る一日となる。空襲の犠牲者を悼む日を迎えた長岡市の様子を随時お伝えします。

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◆柿川灯籠流し

 長岡空襲の犠牲者を慰霊し、恒久平和を願う「柿川灯籠(とうろう)流し」が、長岡市の市街地を流れる柿川で行われた。冥福の祈りが込められた灯籠が午後6時半ごろから次々と流され、ほのかな明かりが川面に揺れた。

慰霊と恒久平和を願う柿川灯籠流し=8月1日、長岡市旭町2

 灯籠流しは長岡青年会議所(JC)が主催し、41回目。約2000個の灯籠が用意され、市民らが「戦争がなくなりますように」などと書き込み、柿川に流した。

 新潟市江南区から長岡市の祖父母の家に遊びに来ていた小学5年の児童(10)は「長岡空襲で多くの人が亡くなったことを初めて知った。世界が平和になるように祈った」と話した。

◆長岡市平和祈念式典

 長岡市のアオーレ長岡では8月1日午前9時、市主催の平和祈念式典が開かれた。長岡空襲の犠牲者遺族や小中学生ら約780人が出席し、不戦と平和への誓いを新たにした。

祭壇前で行われた代表献花=8月1日、長岡市大手通1
祭壇前で行われた一般献花=8月1日、長岡市大手通1

 12歳で長岡空襲に遭い...

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