
(前編から続く)
◆ナウなヤング集う♡
ローサは高度経済成長のまっただ中、急速に進んだ車社会に対応するため、古町地区の地下駐車場開発の一環として構想され、1976年に誕生しました。
全長330メートルにもおよぶ地下街は、ヨーロッパの宮殿をイメージし、アーチやイタリア製の絵タイルで彩られました。
中央にある「出逢いの広場」の一角には、白と黒のチェックのタイル張りの床に水が絶えず流れ出す「水のテラス」があり、その中央にはイルカに乗った少年の像が置かれるというとってもバブリーなつくりだったのです!
若者向けのファッションブランドを多く誘致し、「ナウなヤング」で賑わいました。

イルカに乗った少年などの像が並べられたローサの出逢いの広場。タイル張りの床のふちから水が流れている=1976年(「西堀ローサ二十年」より)

西堀ローサのオープン時、6番館入り口につめかけた多くの人=1976年10月16日、西堀前通6番町
しかし、郊外に大型店ができたことでローサの勢いはじわじわと衰えていきます。
「西堀ローサ二十年」によると、関係者の間で1989年に新潟市に玩具専門店の「トイザらス」が出店するという噂が流れ、市内の商店街は「“平成の黒船”襲来との危機感に襲われた」といいます。
実際に「トイザらス」を核とした商業施設が新潟市にオープンしたのは噂が流れてから5年後の94年でしたが、大型店出店への危機感は高まるばかりでした。

日本海側初進出となったトイザらスを核とする大型店がオープンしたことを伝える1994年9月30日の新潟日報記事
◆平成の黒船VS夢の少女
しかし、古町にはまだ希望の光がありました。若者向けの最新ファッションを提供するラフォーレ原宿・新潟を中核テナントとするビル「NEXT21」が1993年にオープンし、西堀ローサと地下通路で結ばれることになったのです!
人流が見込める千載一遇チャンスを生かすため、ローサは1992年に改修に着手します。その改修の目玉として登場したのが「ロザーナ」でした。

1993年5月1日にオープンしたNEXT21を紹介する新潟日報の記事。ローサはNEXT21と連絡通路で結び、波及効果を狙った
1993年の新潟日報の紙面には「夢の時計少女」の見出しでロザーナのことが紹介されていました。4月28日にロザーナの前身「ローサ夢物語」が設置されたことを報じ、「ピアニストの少女の名前を募集中」とあります。どうやらロザーナという名前は公募で決まったようです。

「夢の時計少女」の見出しで報じられた愛称を募集する1993年5月1日の新潟日報記事
「新しい目玉をつくるのは商業施設としてやらなければいけないこと。ロザーナで客が増えるほど商売は簡単ではないが、いろいろなことに取り組んで状況を打破しようとしていた表れだ」。ローサの立ち上げ初期から携わり、のちに新潟地下開発の社長も務めた小松原正敏さん(84)は取材に応じてくれました。
さらに、ローサ改修のアートディレクターを務めた商業デザイナーの山本忠夫さん(80)=東京都=を中心とするチームが、ロザーナの生みの親となりました。
山本さんは、ローサ開業に関わったプロデューサーから、ローサには「新潟らしさを」ということで、新潟県上越市出身の児童文学作家、小川未明の代表作「赤いろうそくと人魚」のイメージを取り入れたことを聞いていました。
プロデューサーは既に亡くなっていましたが、「新潟を象徴するエレガントな女性を置きたい」と言っていたことから、山本さんがピアノを弾く人形を着想。モデルはローサの柱に描かれたイタリア製の絵タイルの女性だと説明しますが、ロザーナがちょっともの悲しそうな顔をしているのは、「頭の中に赤いろうそくと人魚があったからかも」と話します。

多くの若者で賑わったオープン当初の西堀ローサ(「西堀ローサ二十年」より)
でもなぜピアノを弾く人形?「当時はロボットがはやっていたし、BGMを流すだけでは目立たない。いろいろな思いをつなぎ合わせた結果です」と笑います。
山本さんや人形師、ロボットを作っていた国内メーカーと打ち合わせを重ね、特注で製造したそうです。その額は取材対象者によって幅がありましたが、1000万円は超えていました。
◆で、今どこに?
普段は眠っているように目を閉じているロザーナですが、演奏時には目が開くように設定。おもちゃのピアノの鍵盤ぶたやピアノの脇にある箱が開き、キャラクターが出てくる仕掛けもありました。
「ずっと目が開いているっていうのも不気味だし、ただ時間がきたら演奏するだけでは面白くない。ユーモアや驚きを感じてもらいたかった」と山本さん。

西堀ローサに設置されたロザーナ。このときは演奏していたのかピアノの鍵盤ぶたが開いている=2006年
ピアニストなのになぜか水が流れる「水のテラス」の一角に置かれるというシュールな構図でしたが、「西堀ローサ二十年」では「全くもって巧みな改装であり、叙情的な演出だった」と自画自賛しています。
では肝心のロザーナはなぜ消えたのか?今、どこにいるのか? 山本さん、小松原さんともに「行方は分からない」とこれまでの関係者と同様、首をひねりました。
取材もついにここまでか…。あきらめかけた私の前に、ひとりの人物が現れます。その人物が語った「衝撃の事実」とは…。
(後編につづく)