
燕市島上小の特別授業で、夢について児童に語りかける井上浩一さん=燕市横田
新潟県燕市の社会保険労務士、井上浩一さん(81)は「先生になるのが夢」だった。家庭の事情で教師は諦めたが、工場の多い燕三条地域で「社会の先生」として労災と戦ってきた。地域では子ども会をつくり、教育委員となって、50歳を過ぎた頃、初めて小学校の教壇に立った。以来30年ほど、地元の島上小学校で年に1度、特別授業を担当し、夢について児童に語り続けている。(三条総局長・深民浩司)
横浜市で生まれ、幼い頃に親の出身地の燕市に移った。転校を繰り返して孤独だったとき、担任が優しく気にかけてくれたのが、教師に憧れるきっかけだった。小学6年生の時には、はっきり夢として自覚した。
しかし高校卒業後の進路選択に向き合う中で、長男として家計を助けることを選ぶ。夢は封印した。就職はせず、父とともにさまざまな活動を通じて地域での足場を固めていった。
高度経済成長期の燕三条地域は、金属加工が盛んな半面、けが人が多かった。労働環境改善のためプレス機などの安全装置を売り込もうと、独自で営業にも回ったが、「安全は仕事にならないと怒られた」。
一方でけが人が出ると、傷病補償や休業手当などの書類が必要になる。文書作成の代行をはじめ、労働者の環境整備が仕事になっていった。
やがて...
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