世界中で戦火が絶えず、国際情勢は緊迫の度を増している。悲惨な地上戦を見つめ直し、記憶を次世代に伝える意義は大きい。

 太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍の組織的戦闘が終結した「慰霊の日」から23日で80年だ。

 沖縄県糸満市の平和祈念公園では、沖縄全戦没者追悼式が開催される。日米合わせて約20万人に上る犠牲者の冥福を祈りたい。

 米軍は1945年3月、沖縄県に侵攻し、艦砲射撃や空襲など「鉄の暴風」と呼ばれる猛攻撃を行った。凄惨(せいさん)な戦場は「ありったけの地獄を集めた」といわれた。

 沖縄戦による民間人の死者は推計約9万4千人で、旧日本軍の兵士などの死者とほぼ同じ規模だ。県民の4人に1人が犠牲になったとされる。住民の居住する地域で戦闘が行われることの恐ろしさを物語る数字である。

 学徒を含む住民が兵士となったり、捕虜にされないよう住民が命を奪い合う集団自決が起きたりした。決して目を背けてはならない戦争の実相だ。

 懸念されるのは、沖縄戦の歴史に真摯(しんし)に向き合っているとは思えない政治家の発言が相次いでいることである。

 自民党の西田昌司参院議員は5月のシンポジウムで、沖縄戦で犠牲になった学生や教員を慰霊する「ひめゆりの塔」の展示説明について「歴史を書き換えている」などと発言し、その後、撤回した。

 沖縄県内でも中山義隆・石垣市長が5月の記者懇談会で、集団自決について「自分から死にたいから手りゅう弾をくださいと言った人もいるだろう」と述べ、批判を浴びている。

 戦後80年が経過しようとする中、歴史の風化が進んでいるとしたら、由々しき問題だ。

 米軍は沖縄戦で、旧日本軍の航空基地を占領した。戦後も土地を奪って、基地を拡大した。

 沖縄県には今も広大な米軍基地が存在する。騒音や環境汚染、米軍人らによる事件・事故が繰り返され、県民生活を脅かしている。

 戦後は米軍統治下にあり、72年、日本に復帰した。基地の一部は返還されたが、今も国土面積約0・6%の沖縄県に在日米軍専用施設の7割が集中する。

 玉城デニー知事は、「米軍基地が県の振興を進める上で大きな障害」と訴えている。日米両政府は過重な負担を着実に軽減しなければならない。

 沖縄県では近年、自衛隊の増強も進んでいる。2016年の与那国島を皮切りに、19年に宮古島、23年には石垣島に駐屯地を開設した。自衛隊基地の面積は復帰時の約4・9倍となった。

 背景には、中国が海洋進出を強め、台湾や尖閣諸島を巡る緊張が高まっていることがある。一方、有事には基地が攻撃対象となり、住民に被害が及ぶ恐れがあると指摘されている。

 日本政府は有事が発生した場合、基地のある先島諸島の住民ら約12万人を九州と山口県に避難させる計画だが、宿泊施設や移動手段の確保など課題が山積する。

 そもそも米軍と自衛隊の施設が集まる沖縄本島が対象外となっており、疑問を感じざるを得ない。

 沖縄戦のように住民が戦闘に巻き込まれる事態は絶対に繰り返してはならない。政府には平時からの粘り強い外交努力を求めたい。