古田島吉輝さん

 長岡市は県内で唯一、第2次大戦中に米軍による大規模な市街地爆撃を受け、分かっているだけで1488人が亡くなった。空襲の悲惨さを忘れず、平和への思いをつなぐ拠点として、長岡戦災資料館(長岡市城内町2)が開館以来、果たしてきた役割は大きい。戦後80年の節目を迎え、記憶の伝承が難しくなる中、来春には旧互尊文庫(坂之上町3)の建物への移転も控える。あの夏の惨劇を風化させず、世代を超えて痛みの記憶を共有していくにはどうしたらいいか、資料館初代館長の古田島吉輝さん(89)に聞いた。

(論説編集委員・笹川克年)

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長岡戦災資料館初代館長・古田島吉輝さん

-長岡戦災資料館が2003年に開館し、翌04年に初代館長に就任しました。

 「私は小学3年の...

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