
長岡空襲で犠牲になった鉄道教習生の遺影を見つめる遺族=29日、長岡市の長岡戦災資料館
長岡空襲1945年8月1日午後10時30分から1時間40分にわたり、米軍が長岡市上空で実行した無差別爆撃。125機の爆撃機B29が飛来し、16万発以上の焼夷弾(しょういだん)を投下した。市街地は8割を焼失。7月20日の模擬原爆の犠牲者も含め、判明しているだけで1488人が亡くなった。の犠牲者の遺影を展示する「長岡空襲殉難者遺影展」が29日、長岡市の長岡戦災資料館で始まった。今年新たに加わった新潟鉄道教習所の生徒6人の遺影も展示され、訪れた人たちは犠牲者を悼んだ。
長岡空襲は1945年8月1日にあり、判明しているだけで1488人が亡くなった。犠牲者には、長岡に疎開したばかりの鉄道教習生9人も含まれていた。
戦災資料館は2007年から遺影を収集し、毎年夏に展示している。今年は教習生6人を含む計375人の遺影を展示した。
29日は犠牲者をしのぶ「追慕の集い」もアオーレ長岡で開かれ、約180人が参加した。教習生3人の遺族も初めて参加し、空襲体験者の話に耳を傾けた。
齋藤芳乃さん=当時(15)=の義姉で、...
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