太平洋戦争で広島や長崎に原子力爆弾を放った米軍の部隊は新潟県にも模擬原爆を投下した。原爆の“訓練”ですら市民の命を奪った史実があった。体験者や遺族らの思いを追った。(3回続きの1)

 ガランガランと空が割れるようなごう音がとどろいた。終戦間際の1945年7月20日午前8時すぎ、米軍が放った1発の「模擬原爆」が長岡市左近町(旧上組村左近)の畑に落ちた。核の代わりに爆薬を詰めた巨大爆弾がさく裂し、周辺の民家を吹き飛ばした。

 左近町に住んでいた横山修次さん(83)=柏崎市=は当時3歳だった。祖母リノさん=当時(61)=に付き添われ、離れの雪隠(せっちん)(トイレ)で用を足していた時に被災した。

 リノ...

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