
新潟日報社黒埼本社の屋上から、かつて建設作業をした山田島飛行場の跡地を眺める五十嵐文夫さん=新潟市西区
太平洋戦争末期の1945年8月上旬、旧曽野木村の善久、山田地区(終戦後は旧黒埼町、現在は新潟市西区)の信濃川河川敷に、本土決戦に備え、人知れず飛行場が造られた。地元では「山田島飛行場」と呼ばれた。45年6月ごろから植えられていた果樹を住民が伐採。河川敷を整地し、2か月ほどで完成させたとされる。8月8日に開設を祝う「飛行場開き」が行われたが、その1週間後の15日に終戦を迎え、使われることはなかった。
当時、国民学校6年生だった五十嵐文夫さん(91)=新潟市中央区=は、この飛行場建設に参加した。「機体の離着陸ができるよう地面を平らにする必要があった。土を入れたかごを背負って、低い場所まで運んでは...
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