
80年前、夏の暑さが灼熱(しゃくねつ)の地獄と変わった。1945年8月1日夜、長岡市は米軍の無差別爆撃に遭い、市街地の8割が焼失した。左近地区に落とされた模擬原爆による死者を含め、犠牲者は判明している人で1489人。焼け野原から立ち上がった長岡は、戦災復興都市として歩みを進めた。
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長岡空襲の悲惨さは、たくさんの子どもが亡くなった史実が象徴している。戦災殉難者名簿によると、10歳未満の死者は年代別で最多の23%。10代も18%に達する。母親におんぶされたまま亡くなった子や、かばい合うように亡くなったきょうだいがいた。罪のない多...
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