書家で歌人の會津八一が好んで揮毫(きごう)した言葉に「和敬清寂」があるという。心を和らげて相手を敬い、清らかにして動じないといった茶道の精神を表す。千利休が提唱したとされる。八一は茶道と関わりが深く、裏千家の全国組織である淡交会の初代新潟支部長も務めた
▼その和敬清寂の精神を世界に伝えようと尽力していた千玄室さんが亡くなり、1週間になる。利休から連なる裏千家の前家元は、命を散らした戦友たちへの思いを背負い続けていた
▼学徒動員で海軍に入り、特攻隊員となった。特攻を志願したものの待機を命じられた。死地に赴く多くの戦友を見送り、生き残った自分がひきょう者のように思えたという
▼復員後、米兵への嫌悪感を拭えないでいると、父である十四代家元に諭された。「利休さまは、戦争が終わったときに敵も味方も一緒にお茶をいただくようにされた。終わったらみんな一緒なのだ」
▼この言葉が和敬清寂の尊重につながったという。茶室では帯刀を禁じ、互いへの礼を欠かさない。こうした精神が争いや差別をなくすことに貢献すると考えた。一碗(わん)のお茶の前では誰もが平等だという理念を掲げ、世界中に茶道を広げてきた
▼かつて本紙で「死ぬまで動かなければいけない」と精力的に語った。平和を訴え、訪れた国は60を超えた。終戦80年の日を迎えることなく、この世を去った。きっとウクライナであるいはパレスチナ自治区ガザで、敵味方なく一碗の茶をたてられる日を待ち望んでいたはずだ。
