新潟市出身の小説家、新井満さんは1988年「尋ね人の時間」で芥川賞を受賞した。男性カメラマンと女子大生の結ばれぬ恋の物語だ。題名は子どもの頃に聞いたNHKのラジオ番組の名前に由来することを、あとがきで示唆している
▼「終戦直後、満州の何々という町で何々をしていた元陸軍二等兵何野何夫さんのその後の消息をご存知の方はいらっしゃいませんか」。ラジオに耳を傾けるたび、戦後生まれの少年は不思議でならなかった。大の大人でも行方が分からなくなることがあるのか、と
▼NHKが編集した「放送の五十年」によると、番組は戦争による離別の悲劇から一人でも多くの人を救おうと46年7月に始まった。月曜日から金曜日まで毎日放送された
▼「焼い弾の火の海にわが子を見失った母親、ようやく故国にたどり着いたものの、戦災で家族の消息がわからなくなった復員兵士、出征したまま生死不明の夫を待ちわびる妻」。開始から3年間の放送件数は1万9515件で、消息が判明したのは6797件、34・8%だった。その後、判明率が下がり、62年3月に終了した
▼先の大戦による日本人の死者は310万人に上る。ラジオに一縷(いちる)の望みをかけながら、尋ね人を見つけられなかった人は数知れない。その悲しみはいかばかりか
▼広島原爆の日、長崎原爆の日、終戦の日。戦死者を追悼し、平和に感謝した、戦後80年の8月が過ぎ去ろうとしている。けれども、いつまでも、決して忘れてはならない歴史がある。