終戦から80年を迎えたこの夏、全国各地の文化施設で戦争を振り返る企画展が開かれた。訪ねた中で特に印象に残っているのが、隣県山形の土門拳写真美術館だ

▼戦後日本を代表する写真家の土門が、1950年代後半から60年代後半にかけて広島で撮影した作品がある。終戦から10年以上たって街は変わりゆくが、被爆者の傷は癒えていなかった。モノクロ写真は人々の内面に潜む影を色濃く映す

▼「広島へ行って、驚いた。これはいけない、と狼狽(ろうばい)した。ぼくなどは『ヒロシマ』を忘れていたというより、実ははじめから何も知ってはいなかったのだ」(「土門拳全集10 ヒロシマ」)。広島に通い詰め、リアリズムを追求した

▼リアルが故に、目を背けたくなるような作品もある。例えば「金時さん 左顔面醜形瘢痕(はんこん)植皮手術」(1957年)。原爆病院で腿(もも)の皮膚を顔に移植した少女の、黒い糸で縫合された白い頰。戦争さえなかったら彼女はこんな手術をせずにすんだ

▼新潟日報メディアシップのにいがた文化の記憶館「捕虜になった記者 小柳胖(おやなぎゆたか)」も印象深い。国民の戦意をあおる戦時中の新聞と、小柳が女性の偽名を使って戦地から新潟の家族に送ったはがきが並ぶ

▼小柳は戦後、捕虜体験を話すことはなかったという。残された写真や文書から、心身に負った深い傷を推し量る。自らの戦争体験を語る人は、いずれいなくなる。先日の小欄では、舞鶴引揚記念館が紹介された。戦禍を伝える資料の展示は、ますます重要になる。

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