小説「峠」の中で、長岡藩の河井継之助が「日々いつでも犬死ができる人間たろうとしている」と語る場面がある。「死を飾り、死を意義あらしめようとする人間は単に虚栄の徒であり、いざとなれば死ねぬ。朝に夕に犬死の覚悟をあらたにしつつ、生きる意義のみを考える者がえらい」と続く
▼現代では少し大仰な死生観ながら、作中で特に印象深い言葉だった。時代の渦に巻き込まれた無数の戦没者に重ねて論じるのはためらわれるが、沖縄のあの人々の死は、どう捉えればいいかと考えてしまう
▼1945年の沖縄戦では、スパイに疑われ日本軍に処刑された多くの住民がいた。米軍の投降勧告ビラを持っていた、沖縄語を話した、米兵と接触があった…。理不尽な理由には、沖縄への差別意識も絡んだとされる
▼久米島だけで、日本軍の組織的戦闘が終わった6月23日以降に10人が、さらに、玉音放送があった8月15日を過ぎてから10人が、スパイ視され、むごたらしく命を奪われた
▼日本軍の司令官が部下に「最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」と命じて自決していたため、抗戦は続いた。既に戦局は決していた7月と8月の2カ月で、1万人を超える沖縄県民が不帰の客となった
▼沖縄戦に正式な終止符が打たれたのは、現地で降伏調印式があった9月、80年前のあすである。戦場の狂気や愚かしい権威主義を後世の人間が記憶にとどめることで、戦時下のあまたの不条理な死にも意味を持たせることはできる、そう思いたい。