駄菓子屋にある菓子のくじ引きで1等を見抜くのが得意な少年がいた。新しいくじが入る度に当たりくじを引き当てていたという。友人らの羨望(せんぼう)のまなざしを集めていた

▼駄菓子屋のおばさんは「もっと遠慮するよう注意してくれ」と少年の兄を呼んで言った。自分はいつもハズレばかり引いていたのに、小言を言われたその兄が、新潟市西蒲区の大沢昭一さんだ。弟は北朝鮮による拉致の疑いが排除できない特定失踪者の孝司さんである

▼長じても兄弟仲は変わらなかった。10歳違いの弟が成人すると、酒を酌み交わすようになった。1974年の年明けも一緒に過ごした。これが最後の思い出となった。その年の2月、孝司さんは佐渡で失踪した。隣町へ仏像を買いに行った日の夜のことだった

▼昭一さんはさまざまな情報から「拉致だ」と確信している。だが、政府は今も拉致被害者とは認定していない。弟との再会もかなわないままだ。問題解決に向けて走り続けてきた昭一さんは89歳となった

▼「身体が続く限りは」と思いながらも、いつまで弟のために動けるのかと不安を抱える。少しでも社会の関心を高めたいという願いから、初めての著書をまとめた。「待って探して五十年 仏像とともに消えた弟」(高木書房)だ

▼声を上げ続けなければ、問題が置き去りにされるという強い危機感が昭一さんを動かしてきた。しかし、拉致問題は国家間の懸案である。本当に汗をかくべきは誰なのか。その人たちにこそ読んでもらいたい。