イスラエルによる攻撃激化を受けてパレスチナ自治区ガザ北部から南部に退避する住民=9月16日(ゲッティ=共同)
 イスラエルによる攻撃激化を受けてパレスチナ自治区ガザ北部から南部に退避する住民=9月16日(ゲッティ=共同)
 イスラエル中部テルアビブで船から下りるユダヤ人移民ら=1948年5月(ゲッティ=共同)
 英ロンドンで行われた1948年のパレスチナ人追放に関するパレスチナ支援デモ=5月(ゲッティ=共同)
 ヨルダン川周辺に逃れたパレスチナ人のための難民キャンプ=1948年(ゲッティ=共同)
 パレスチナ自治区ガザ近くに展開するイスラエルの戦車=17日、イスラエル南部(ゲッティ=共同)
 パリで行われたパレスチナ支援のデモ=9月13日(ゲッティ=共同)
 エルサレム旧市街のモスク(イスラム教礼拝所)に集まった人々=2017年(ゲッティ=共同)
 1993年9月、暫定自治宣言の調印式で握手するイスラエルのラビン首相(左)とPLOのアラファト議長(右)。中央はクリントン米大統領=ワシントン(ロイター=共同)
 パレスチナ自治区ガザでイスラエル軍側に石を投げるデモ参加者=2018年3月(ゲッティ=共同)

 パレスチナ自治区ガザでの戦闘は10月で2年と長期化している。ガザを実効支配してきたイスラム組織ハマスのイスラエル奇襲が戦闘の始まりだったが、根底には自らの土地を追われたとのユダヤ、アラブ人双方の思いが横たわる。欧州列強の過去の外交政策も背景だ。世界史上「最大の難問」とも呼ばれる紛争の背景をあらためて振り返る。

 ▽喪失

 パレスチナ地域には紀元前10世紀ごろ、ヘブライ人(後のユダヤ人)の王国が成立。他国の侵略が繰り返されてユダヤ人意識が生じてくる。それを疎んだ古代ローマに追放され、世界各地に離散した。欧州では差別を受けるようになる。

 7世紀のイスラム教成立後、パレスチナの住民の主体はアラブ人とな...

残り1932文字(全文:2232文字)