おでん屋に保険の勧誘員…。生活の糧を得るため、都内で職を転々とした。再上京から11年。貧しさにあえぐ中で書き上げた歴史小説が、創設間もない第2回直木賞に輝く

▼受賞したのは西蒲原郡黒鳥村(現新潟市西区)出身の鷲尾雨工。同賞の県人第1号である。今年は生誕から130年になる

▼小千谷中を経て早稲田大を卒業後、仲間と興した出版業は行き詰まり、関東大震災で社屋が焼失。帰郷した妻の実家がある小千谷ではビールの販売も経験した。「貧困から逃れるためには小説を書いてみるしか方法がない」との一念で、再び上京したのだった。受賞した年は1936年。当初の選考日に二・二六事件が起き、翌3月に延期された。川端康成ら選考委員全員の一致で選出。ほかの候補作家に海音寺潮五郎らがいた

▼受賞作「吉野朝太平記」は、南北朝末期を描いた作品。注目されていなかった楠正成の三男、正儀(まさのり)を主人公に据えた。万年筆が買えずに1本10銭の筆を使い「筆の先が切れてくるとはさみで切りそろえて書いていた」との家族の談話も残る

▼だが、持病や戦争で活躍の時期は長くなかった。評伝の筆者は「才能を開花させきらずに没した」とその悲運を記す。「忘れられた作家」とも呼ばれる

▼雨工の足跡をたどる企画展が7月まで中央区の「文化の記憶館」で開かれている。保険の勧誘をしながら図書館に通い調べものをしたという。貧困の中でも諦めなかった気概に心動かされた。忘れたくない県人の軌跡である。

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