新潟水俣病第5次訴訟について新潟日報紙面などで紹介した冊子「『覚悟』の軌跡」を手にする皆川栄一団長=新潟市中央区沼垂東6
新潟水俣病第5次訴訟について新潟日報紙面などで紹介した冊子「『覚悟』の軌跡」を手にする皆川栄一団長=新潟市中央区沼垂東6
新潟水俣病第5次訴訟の道のりをまとめた「『覚悟』の軌跡」

 新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の被害者らでつくる新潟水俣病阿賀野患者会は、会員が原告となっている新潟水俣病第5次訴訟水俣病被害を訴える新潟市などの男女が2013年12月、国と昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)に損害賠償などを求め新潟地裁に提訴した訴訟。原告が水俣病かどうかや、九州に続き新潟県でも水俣病が発生したことに対する国の責任の有無が主な争点となっている。の提訴から一部原告の新潟地裁判決まで、約10年の道のりを振り返る冊子「『覚悟』の軌跡」を出版した。関係者の寄稿や新潟日報の記事で歩みをたどっている。新潟水俣病公式確認から60年に当たる2025年、講演会などで配布し、水俣病への理解を促す。

 新潟水俣病第5次訴訟は、水俣病の症状がある新潟市などの男女が2013年12月、新潟地裁に提訴。約10年後の24年4月に原告の一部47人が判決を受けた。判決は47人中26人を水俣病と認めたが、国の責任は否定した。残る原告102人の審理が新潟地裁で続いているほか、判...

残り535文字(全文:835文字)