県立環境と人間のふれあい館の来館80万人目となった北諏訪小の児童。新潟水俣病の被害について学んだ=10日、新潟市北区
県立環境と人間のふれあい館の来館80万人目となった北諏訪小の児童。新潟水俣病の被害について学んだ=10日、新潟市北区

 今年で公式確認60年の新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の歴史や教訓を伝える県立環境と人間のふれあい館(新潟市北区)の来館者が10日、延べ80万人に達した。開館から24年たち、公害問題について学ぶ場として活用されているが、語り部が高齢化で少なくなり、被害の実態や体験を伝えるため新たな語り部の掘り起こしなどを模索する。

 10日は上越市の北諏訪小学校の5年生8人が訪れ、80万人目の来館者を記念し、児童代表が藤田伸一館長から花束を受け取った。

 見学した児童(11)は「事前に勉強してきたが、話を聞いてどれだけつらいことだったのかがよく分かった」と話した。

 新潟水俣病は原因企業の昭和電工(当時)がメチル水銀を含む排水を阿賀野...

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